七 - 4
来ない。帰った連中を開明人(かいめいじん)の目から見れば化物である。仮令(たとい)世界何億万の人口を挙(あ)げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸(あかはだか)は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。
しかるに今吾輩が眼下(がんか)に見下(みおろ)した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至(ないし)袴(はかま)もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視(しゅうもくかんし)の裡(うち)に露出して平々然(へいへいぜん)と談笑を縦(ほしいま)まにしている。吾輩が先刻(さっき)一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹(つつし)んでその一般を紹介するの栄を有する。
何だかごちゃごちゃしていて何(な)にから記述していいか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽(ゆぶね)から述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方(おおかた)湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、長(ながさ)は一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入(はい)っている。何でも薬湯(くすりゆ)とか号するのだそうで、石灰(いしばい)を溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏(あぶら)ぎって、重た気(げ)に濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易(か)えないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由(よし)だがこれまたもって透明、瑩徹(えいてつ)などとは誓って申されない。天水桶(てんすいおけ)を攪(か)き混(ま)ぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分(だいぶ)骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造(わかぞう)が二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰(なぐさ)みだ。双方共色の黒い点において間然(かんぜん)するところなきまでに発達している。この化物は大分(だいぶ)逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫(な)で廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」た左肺(さはい)の方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺を叩(たた)いて見せると、金さんは「そりゃ疝気(せんき)だあね」と云った。ところへ二十五六の薄い髯(ひげ)を生(は)やした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いていた石鹸(シャボン)が垢(あか)と共に浮きあがる。鉄気(かなけ)のある水を透(す)かして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭の禿(は)げた爺さんが五分刈を捕(とら)えて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者には叶(かな)わないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえし